年末帰阪の旅2日目。
で、昨晩は私もそこそこ飲みましたが、酩酊するほどは飲まなかったので、二日酔いもせずに通常営業モードにて起床。
んで本日のメインイヴェントも夜からでして、ジャズ研OBで同期の平野(p)さんと後輩の横尾(tp)くん、弦牧(ds)くんが神戸でライブをやるので、それを聴きに行くのが主要イヴェントでして、でもそれまでに十分過ぎる程の時間があるのですが、特にコレと言った事は決めずに、とりあえず10時頃に宿から外出。
で、宿の場所が谷四って事もあるので、まずは、
大阪城公園へ。以前住んでいた所から目と鼻の先にあって、毎日朝のウォーキングをしていた公園でして、久々に当時のウォーキングコースを半分だけ歩いてみようかと思いまして。
大阪城梅林。今はまだ梅の花は咲いていませんが、そういえばここも昨日の村山聖が師匠に連れられて写真撮影に来た場所という事で、偶然これも「聖地巡礼」になってしまいました。
公園内の一角から見えるこの景色が昔から好きでしたなあ。
で、懐かしのウォーキングコースを半分歩いた後、その流れで結局、
住んでいた団地にも行ってしまいました。何もお変わり無く、なんだかまだ住んでいるかのような気分になったりなど。
んで、すっかり「思い出の地巡りモード」(笑)になってしまったので、
昔の居住地から昔の職場へと向かってしまいました。昔の通勤経路を反芻して思い出に浸る旅。でも今日はまだお仕事中のはずなので、そこいらをブラブラしていて知った顔に出くわすと気まずい(笑)ので、そそくさと退散。
んでこれでいよいよ「思い出の地巡りモード」に火が点いた(笑)結果、思い出モードの針をグッと前に戻しまして、大学時代の思い出の地へ行ってみたくなり、
阪急上新庄駅へ。大学同期の岸さんが住んでいたところであり、ジャズ喫茶の「ブルーシティ」のあった場所でして、この界隈にはよく出没していたのでした。
駅前のロッテリア。初期のジャズ研民にとっては思い出深い場所(笑)なのです。かの迷言『スプライヤー』の生まれた現場…と言っても、当時の一部のジャズ研民にしかわかりませんが。
でも上新庄駅界隈の記憶がほぼ完全に消失しておりまして、おまけにジャズ喫茶の「ブルーシティー」も、もうとっくに閉店して、ブルーシティがどこにあったのかもまるでわからなかったのでした。かろうじて、向かい側に中華料理店の「珉珉」があったような記憶がうっすらとあるので、おそらく、この通りの右手の辺りにあったんでしょうなあ、ブルーシティ。
そして、若干道を間違えつつ、お次の思い出の場所へ。
ちょっとだけ様子は変わっていましたが、建物はまだ健在でした。いやあ、めっちゃ久々に訪れました。懐かしい。
で、ひとしきり巡ってもう満足したので、梅田へと舞い戻り、ちょうど毎年いつもこの時期にやっている阪神百貨店の催し、中古レコード掘り出し市へ行ってみました、今日が最終日やったんで。
おっと、興奮して(笑)レンズの端っこに指が写り込んでしまいました。ずらっと並んだ通称「エサ箱」にテンションが上がってしまいました。んで早速、取り憑かれたかのようにエサ箱漁りをおっぱじめてみましたが、おメガネに叶うモノはみつからず、収穫物はないまま手ぶらで退散。
その後は、晩に向かうところは神戸なので、神戸に行くんだからって事で…
はい、いつものジャムジャムさんにも立ち寄って、爆音を体に浴びて来たのでした。
そしてその後、元町から六甲へと場所移動して、
神戸Alwaysへ。で、
『横尾昌二郎と平野達也トリオ(看板通りのバンド名称)』を堪能。いやあ、横尾くんはやっぱり上手かったですなあ。がしかし、年末も押し迫った30日だからなのか、お客さんが圧倒的に少なくて、バンドメンバー4名に対して観客が私を含めて2名(笑)と言う、まさかのバンドメンバー>観客な、なんとも「贅沢」な環境だったのでした。
そして2ステージを22時過ぎまで鑑賞し、メンバーのみんなと店で1杯飲んで、終電前に電車でみんなで一緒に帰って、午前0時頃に宿へと帰還して、2日目は終了したのでした。ちょっと歩き過ぎましたかなあ。