いつもフルバン練習日の前日に前ノリすると、2日目はいつもチェックアウトの10時から練習が始まる13時までが自由行動時間に。
で今日は、昨晩大学ジャズ研同期の2人とプチ同窓会した事もあって、大学時代を懐かしんで久々に母校を訪ねようかと。
そしてその前に、大学前の駅の1駅前の、大阪で初めて住んだ街、阪急千里線の「豊津」駅にも立ち寄って、昔を懐かしむ事に。
でふと、豊津に行くの何時ぶりかなーと思い、チェックしてみると、
なんと、12年前!でありました。('・c_・` )ソッカー、もうそんなに行ってなかったかー。
で、阪急梅田駅近くのコインロッカーにラッパを預けて身軽になって、阪急千里線に乗って北上。そして、
12年ぶりの豊津駅に。ま、殺風景な駅っすな。(笑)この地で大学2回生までの2年間を過ごしましてん。
で、過去に訪れていてもう無くなっている事は分かっているけど一応、住んでいた文化住宅があった場所へ。
多分この辺だったと思うけど、昔の建物は完全に姿を消して、一戸建ての建売住宅が軒を連ねていて、昔の面影はゼロですわ。
かろうじて、近くを流れる「糸田川」の堤防へと上がる界隈には、昔の面影が残っているような気がしたかな。
豊津降板前の交差点。洋菓子店?になっているところには弁当屋(「かまどや」だったかな?)があって、よく買ってたなあ。そしてこの先にあったスーパーにもよく行ったし、さらに先に進むと「江坂」エリアで、当時そこにあった『東急ハンズ』にもよー行った。(笑)
と、自分が住んでいた当時からすっかり様変わりしてしまっている豊津エリアですが、そんな中で頑張って変わらずに佇んでくれていたのが、
ココ。豊津駅真横の住居兼店舗の雑居ビル。
ココの4F?3F?忘れてしもたけど、1回生の時だけ所属した軽音楽部のビッグバンドの先輩が住んでおられて、何度かお邪魔した事が。
そしてこのビルの1Fに中華屋があって、同期連中とたまに行っていて、でもその店を店名では呼ばずに先輩の住居の下にある店って意味で『アンダー・ザ・ほあし(=先輩の名前っす、すんませんっす。』って呼んでたりとかしてたな、懐かしいな。(笑)
と、そんなトコロで豊津には別れを告げて、母校エリアへと移動。
でまあ、母校再訪は最近もやっていて、
コレか。なので2年チョイ振りっすな。んで、歩ける距離だけど今日はやけに気温が高くて汗だく(笑)になったんで歩くのはやめて、豊津駅から電車に乗って、1駅先の
関大前駅にて下車。そして大学前の通りを抜けて、
母校の正門前に到着。たかが2年チョイ振りだけどまあ、懐かしいっすな。
んで、ちょっとだけキャンパス内を散策。
通称「経商ステンドグラス前」っす。ジャズ研の時に大学のイベント?新歓とか学祭とか、そんな時に実行委員会からよく割り当てられた場所で、ここで良く演奏しましたわ。
この前の、
恒例集会の時に無くなったって聞いて驚いていた、シンフォニーホール、旧称特別講堂、無くなってへんやん、あるやん。
今も存在しているらしいジャズ研究会の入っている建物にも行ってみたけど、日曜日だから人は居なさそうだった。ここでもよく練習させてもらったんで「懐かしの場所」ですわ。あの石の階段前とかでよくセッションしたし。でも社会人になってからの思い出やけど。(笑)
一応、私の通っていた社会学部の建物にも。正門の外にあって『関西外大』とか言われてたんだよなー。(笑)
でコレにて母校とは別れを告げて、本日のメインのイベントへ。
ちゅうのは、昨晩久々にきしさんと会ってふと、そのきしさんの著書、
『図書室』に併録されたエッセイ
『給水塔』の中で大学時代の私との思い出を書いていてくれていて、それがタイトルの『給水塔』にもなっているんだけど、その舞台となった公園に行ってみよう!と思ったのでありまーす。でも記憶が定かでは無くて、確かあの辺の…と言う、心許ないレベルの記憶ではあるんだけど。
で、記憶にある「この辺やったかなー」って場所にあった公園が、
この公園。ランドマークの『給水塔』は無かったけど、日曜日なのに誰も居なくてひっそりとしている感じとか、ココじゃなかったかなー?って思うんだけど。違うかもしれんけど。
でまあ、この公園が正解かどうかはどうでもよくて、そこに書かれてある思い出は、ともすれば忘れてしまいそうな、当時の大学生時代のめっちゃ日常で断片的な、あーそんな事もしたよなあ…的な出来事で、その記憶を活字として、しかも書籍として残してくれたきしさんには感謝ですわ。
と、そんな事をして日曜日の住宅街を徘徊していたんだけど、今日は季節外れの暖かさで、ダウンジャケットを着ていたら汗だくになって、我慢出来ずにジャケットを脱いでしまった程なのでした。